佐々木豊・ブルガリアサンボ大会出場

レポート/ 筒井 穣
(FIAS国際審判員・ユーゴスラビア留学中)

2001年1月27日、ブルガリア共和国ソフィア市でブルガリアオープンサンボ大会(男女シニア)が開催され
た。この大会に日本から佐々木豊選手(52キロ級)が単身で参加した。99年5月から1年間ブルガリアに留
学し、現在隣国ユーゴで暮らす私も駆けつけサポートしたので以下にその模様をお伝えする。

佐々木選手から「春までに何か手頃な大会はないだろうか」と相談されたのは、彼がコーチとして参加し
ていたキエフでの世界選手権のときだった。世界大会出場を逃した佐々木選手は、この時期に一度減
量・調整して春以降の大会に備えたいという意向があったようだ。私は1月のブルガリアオープンのことを
話した。その後、年末年始に私が一時帰国したときに正式に出場の意志を聞き、ブルガリア連盟に報
告、今回の参戦が実現の運びに至った。

ここでブルガリアのサンボについて少し説明すると、かつてソ連・モンゴルと並び「三強」と言われ、7人の
世界チャンピオンを輩出しているだけに深い歴史と伝統がある。人口100万強の首都ソフィアだけでもサン
ボクラブが5つ、更に体育大にもサンボ部がある。地方も含めると30前後のクラブが随時サンボを練習して
おり、人口800万程度のこの国に於いてはなかなかメジャーなスポーツである。実際、佐々木選手も驚い
ていたが、タクシーの運転手などもみんなサンボのことを知っている。国内大会は年齢区分がシニア・20
歳以下(エスポ)・18歳以下(ジュニア)・16歳以下・14歳以下・12歳以下と6つに別れており、それぞれが年
に2回ずつ行われる。1月から始まるのが「国内大会(第1期)」、4月から始まるのが「国内選手権(第2期)」
である。寒い時期に行われる第1期の方は計量1キロオーバーで行われる。ちなみに17〜18歳の選手は
シニア・エスポ・ジュニアの3カテゴリーに出場することができる。つまり半年の間に6大会に出られるわけ
で、自ずと経験値が上がる。更に彼らはほとんどが柔道の大会にも出場するため、年間の試合数は数知
れない。この辺がこの国のサンボの強さに影響しているのだろう。この1期のシニアの部はオープン参加
のため近隣諸国からも選手が集い、さながら国際大会の様相である。

さて、佐々木選手は24日の昼に到着、私は前日の夜にソフィアに入り空港に迎えに行った。定刻通りに
到着し、程なく佐々木選手が出てきた。表情は明るく、体重もかなり調整してきたとのこと。なんでも普段
この時期はオフなのでかなり体重が増えるはずなのを、今大会のために正月返上で練習してきたそう
で、かなりの意気込みが窺えた。午前中に予約しておいたホテル・ディアナ3へ向かう。ここは私がブルガ
リアに来てアパートが決まるまでの間、ちょうど地元ソフィア開催のサンボヨーロッパ選手権に向けて合宿
中だったナショナルチームに同泊させてもらい、3週間以上過ごしたところである。質素だが安くて快適な
ホテルで、主にスポーツ選手が使っているようである。

実は試合前の調整はソフィア市内のサンボクラブで行う予定だったのだが、協力隊柔道隊員の佐久間さ
んから、翌週のブルガリア国際柔道大会に向けディアナの柔道場で合宿が行われていると聞いていたの
で、それは都合がいいと思い空港に行く前に見学がてら交渉に行った。前述の通り、ブルガリアの選手た
ちはほとんどがサンボと柔道の両方をやっているので選手たちはみんな顔見知り、柔道ナショナルチーム
の監督も地元の強豪ツェセカサンボ・柔道クラブのツェネフ氏である。練習を見ると、サンボ大会に備えて
サンボ着とシューズで練習している選手もいた。ツェネフに練習への合流を頼んだところ、二つ返事でOK
してくれた。徒歩5分、暖房も良く効いた最高の練習場が確保できた(ブルガリアには寒い道場が多い)。し
かも午前・午後1回ずつ練習が組まれていた。

到着の日の午後練習から早速合流。世界選手権で面識のある68キロ級のゲオルギエフ(99年・00年世
界3位)、100キロ級のツベトコフ(00年世界3位、ツベトフの名でリングスにも参戦)らと挨拶を交わす。試合
直前なので怪我のないように、調整は主に女子選手と行ったが、ここでちょっとしたトラブル発生。佐々木
選手が「この次スパーリングやろう」と頼んだところ、黙って首を横に振られた。「あ、ダメなの?」と思って
去ろうとした佐々木選手だったが、実はこれはOKなのである。ブルガリアではYesのとき首を横に、Noの
とき縦に振る習慣があるのだ。私は「あ、教えとくの忘れてた」と思い、慌てて「佐々木さん!それOKなん
すよ」と声をかけた。ま、笑い話だが習慣の違いとは面白いものである。試合前日の午前まで計4回合同
練習に参加したが、なかなかいい感じで調整できていた。女子選手でも積極的に足関節をかけてきたり
するところが見ていても興味深かった。食事はホテル付近のレストランに行ったが、ブルガリア料理の淡
白な味付けも減量にちょうど良かったようである。

さて前日26日の午後6時から計量、私が2時から審判会議だったので佐々木選手はずいぶん現地で待つ
羽目となってしまったが(またこの審判会議が熱かった)、なんとかパス。当日に計量する選手(主に地方
のクラブ)を待たずして既に10人のエントリー。やはり強豪ブルガリアの層は厚い。当日計量後、52キロ級
の選手は結局15人になった。決勝まで上がると1日で4試合。なかなかキツそうである。

試合当日、早目に会場入りして入念にアップをする。会場は例年通り地元の名門ロコモティフソフィアの
体育館。非常に寒いことで悪名高く、みんな白い息を吐きながらアップし、出番を待つという感じだ。私は
審判の仕事があるので、ツェセカの女子選手らに荷物の管理や出番を教えてもらうことなどを頼んでおい
た。実際彼女らが常に気を遣ってくれていて助かった。1回戦、相手は隣国ギリシャの選手。前半互いに
技が出ずパッシブが重なる展開だったが、後半に足取りとリフトで加点し5−3で手堅く勝利。2回戦はソ
フィアの東100キロくらいのパナギュリシテという町の選手。ここは人口わずか2万5千人程度でありながら
イワン・ネトフ(95年68キロ級世界チャンピオン)を始め多くの名選手を生み出している「サンボの町」だ。現
在はネトフのクラブと、ネトフの師匠ショポフのクラブがある。この選手はネトフのクラブだったが、難なく抑
え込みから逆十字で料理。準決勝に駒を進める。準決勝はロコモティフソフィアの選手。お互い攻め手を
欠いてパッシブが3つずつ入る。終了間際に袖返しなどでアクションがあったのが認められたか、相手が
失格となり辛くも勝利。厳しい試合だった。

遂に決勝。相手のコスタディン・タバコフはソフィア南西のキュステンディルという町の選手で、常に上位に
入っている。彼は当日に計量という不利な条件でありながら積極的に動き、前半にアクティブと背負いの
1ポイントを奪う。更に後半も良く動き後半パッシブで加点し2−0、佐々木選手もグラウンドでがぶりから
の抑えを狙うが返しきれずそのまま終了。準優勝に終わった。

決勝で破れはしたが、日本のサンビストがブルガリアオープンに参加するのは初めてのことなので関係
者の注目も高く、試合の模様は当日夜のテレビでも取り上げられた。佐々木選手自身も合同練習への参
加、久々の1日4試合を経験するなど、収穫の多い大会だったと思う。そして今回対戦した各選手、特に決
勝のタバコフ戦では彼らの「地元で負けられるか」という意地、必死さが感じられた。最近柔道重視の傾
向も見られるブルガリアサンボであるが、今回はかなり足関節も見られたし、層の厚さ・伝統の重さを見
せられた気がする。52キロ級に関しても、ここのところ常勝だったジョレフという選手が不参加、レフスキー
クラブのコーチもライセンスの都合で出場を取り消しており、彼らが出ていたら更に苦しい戦いを強いられ
ていたかもしれない。他の階級でも68キロ級のゲオルギエフの圧勝(彼は翌週の国際柔道も優勝)や、57
キロ級で99年欧州2位のストヤノフを破って優勝したゲノフの活躍など、目をみはる試合が多かった。

佐々木選手にとって、今回は試合以外でも、ツェセカの女子選手(父親は審判)の家に招かれたり、長年
愛用しているサンボ着、ロザーナスポーツの店に直接行き、息子用のサンボ着を作ってもらったりと、思い
出に残る遠征になったに違いない(ロザーナのおばさんも遠い日本に愛用者がいることに感激していた−
子供用サンボ着を受け取ったときの佐々木選手の喜び様に私は子煩悩さを感じた)。また、女子選手たち
も快く練習相手をしてくれ、試合中の面倒も良く見てくれたし、なぜかネトフやレフスキーのコーチも佐々木
選手のことを応援してくれていた。このあたりは佐々木選手のキャラクターの為せる業だろうか?

私自身、古巣のブルガリアに行ってよく知った選手の成長を見たり、佐々木選手と将来のサンボについて
語りあったりと、有意義な滞在であった。今回の経験が、今年で最後と宣言している残りの現役生活に
とって有意義に働くことを願って筆を置く。