サンボについて

国内第一号のプロサンビスト  佐々木豊

「こだわり」
みなさん、ゆっくりと考えてみてください。今あなたの中にこだわってるものってありますか? 普通はだれでも大なり小なりそんな感じのものはあるはずです。そして それは、自分にとっての生きがいなはずです。でも、それってなくては生きていけないほど大切なものですか?
人生のステージを自己のステップアップのために、魂の純化のために生きている人は、みんなそのこだわりには呪縛されていません。それがなくても日々前進の人生を生き抜ける人たちです。
ぼくに当てはめて考えてみると、ぼくにとってサンボが人生の目的になってしまえば、この先の人生でつまずく可能性があります。サンボを人生の拠り所としてしまうからです。
だけど、そのサンボを手段として人生の大きな目的に向かって進むなら、一気に発想が柔軟になり視野が広がるはずです。
そんな意味を込めて、ぼくこのサンボって競技にはそんなにこだわってないんです。こだわりないって言ってしまったら誤解生みそうですが、いい意味でのこだわりではなく、物事にすがって生きると自分自身の個性としての自立から外れてしまうからです。でも誰よりも情熱をもってはやっています。ホンマに好きでやってるんです。でもこだわってない。命懸けでやってるけど、いつでも捨てれる。

これは、ぼくの生き方の核なんですけど、物事と精神的な拠り所には執着しないって事なんです。結局どんな科学的根拠のある正しい理論も、精神的な拠り所も、唯一固定された不動のものなんかはなくすべて過渡的なものやって事を、絶対的な正しさなんてこの世にないって事を、ここ10年ぐらい前からだんだんわかってきまして・・・これは、ぼく自身がより強くなるためにどうしても越えなアカン壁を、トレーニングとダイエットを深く掘り下げることで克服した時期にみえてきた認識なんです。
ぼくは、今その時を生き抜く中心となる考え方や、自分の生きがいを模索する時、あらゆる情報をもって判断して なるほど、これは妥当なとこやって自分で認めたことには全身全霊、徹底的に追求することにはしています。ピュアな求道は自分を、自分の魂をどんどん高めてくれますからねー。でも、人や情報に流されるのとはちがって、それをのり越える心身からの自己革命を穿つ斬新な世界と出会えば、いつでも柔軟に対応し、必要とあらば自分が今まで積み上げてきた心身の拠り所をすべて打砕いて捨てる覚悟は常にもってるつもりです。
だから、自分が今夢中になってる事には命を懸けれるし、でもすぐ捨てることも出来るんです。

「動機とその衝動」
ぼくにとってのサンボっていうか、この衝動の根源は、ただ、だれよりも強くなりたかった。これだけです。すべてはここから始まりました。
普通、もともと強い人はそんな事は感じないはずです。ぼくは小さい頃から自分のこころの弱さ、チカラの弱さをいつも痛感してたからこそ、そこがコンプレックスの強い部分となって、かつ自分の動機付けの核にもなっていったわけです。
強くなりたくって、強くなりたくって毎日、毎日つらいトレーニングに明け暮れる。でもその強さって、追えば追うほど自分自身が本来もってる心の弱さと直面することになるんですね。強くなる為にはまず自分の弱さを受け入れ、認めることが必要です。強くなるって自分の弱さにうち克つことだったんです。これ、競技生活20年たった最近やっとわかってきたことなんです。「ああ、オレってまだまだ弱いから強さを求めてんのやな」って。

だから、最初はそれがレスリングでも相撲でも将棋でも勉強でもサンボでもetc...何でもよかったはずです。やれる自分を発見して オレはこの部分ではだれにも負けん!って自信さえつけば・・・
そんな中でぼくに生きる勇気と自信を与えてくれた自己革命の源はレスリングでした。そのレスリングの底上げと、戦術の幅を広げようと 当時、組み技世界最強と謳われたとサンボを自分のスタイルの差別化戦略として採りいれたのがサンボとの出会いです。サンボを研究し、練習すればするほど、これは自分に合ってる、しかも自分の可能性をどんどん広げていってくれると確信出来ました。
ぼくが、初めてサンボに出会ったとき「あ〜この競技はレスリングよりやり易い。この競技やったら日本一になれる!」って心の底から思えたんです。それから8年、世界2位の選手とおもったより戦えたときに「ここまで来たら世界の頂点目指すしかないな!」って肚を決めた。まぁーこんないきさつですわ。

「オンリーワン(自分にしか出来ない事)」
だいたいみんなほとんどのひとは自分がやりたい事と自分の出来る事って違ってるものでしょう? 自分では自信もってやってるつもりでも どうみても出来ない事を通そうとする人、多いでしょう?
まず、認識と姿勢っていうか取り組み方が非常にあまいんじゃないでしょうか。どうせやるなら、これで死んでもええわって命懸けましょうよ。その気概でしか掴めないものってあるんです。特に、価値あるものは簡単には手に入らないことだけは強く認識しましょう。それと、自分自身を知らなさ過ぎですよ。だから努力の度合いも、努力の方向も正しくない。自分とトコトン向き合って自分が出来る事、自分に出来ない事をよくみつめて。そこから自分にしか出来ない可能性に出会いましょうよ。我慢する所と、いく所のメリハリですかねー。
ぼくの場合はやりたい事とはチョットちがったけど(近いけど)自分にしか出来ない事がサンボやったというだけの事で、そこをわきまえて、そこを利用しながら最大に活用しとるだけですわ。
やりたい事で一番になろうとしたらNo.1にならなアカンわけやけど、自分が出来ること、自分にしか出来ないことで一番になる発想はオンリーワンの発想なんですわ。No.1は100万人にひとりとか1000万人にひとりの素材のことです。その他大勢、凡庸な素材の人たち(ぼくも含めて)が勝ち上がっていくには弱者必勝の戦略が必要になります。
それは、経営学でいうところのマーケティング戦略と同じ発想なわけですよ。きびしい市場の中で生き残っていくには常に戦略的な思考の中での意思決定が必要なのと全く同じ事を、ぼくは競技を通して実践してるだけなんです。

「見た目のイメージと現実とのギャップ」
マイナーな競技でやってる人も少ないからオマエらええなって、「おれもそれぐらいの事は出来るで〜」みたいなニュアンスでよう言われるけど「まあーとりあえず1回やってみてどんなもんかどんな世界かみてみたら?」っていつも思いますわね。そこではじめて現実わかると思うんですよ・・自分で思ってるイメージと、実際とのギャップがね・・・
やっぱり、だれでも自信はあってもはじめて出場する競技ってメチャメチャ勇気いると思うんですよ。負けたらどうしょうとか、ケガしたら・・・とか、そこで何考えます? 練習せなアカン!ってだれでも考えるんですわ。不安やからねー・・・・・・時間割いて、苦しいつらい思いして・・・・・・・ほんだら、もうええわって。普通はそうなるんですよ。
そうならんヤツが「オレでもそれぐらいの事は出来るで〜」って思った人の一割ぐらいですかねー。その一割の人間が競技者になっていくんですよ。
で、その中からたった一人だけがチャンピオンになれる。こんな世界ですわ、ぼくらが生きとる世界は。
だから、マイナー競技で選手層うすいっていわれても一番上まで勝ち上がっていくのは、それなりの覚悟と気の遠なりそうな努力せなアカンのですわ。

しかも格闘技でしょ、我々の競技は。なんだかんだ理論立ててそれにそって、緻密なトレーニングで仕上げて試合には臨みますよ。でも、実際のトレーニングって“マジで今日死ぬんちゃうか”って思うくらい追い込むし、試合の時は、“相手を本気で殺すつもり”で闘いますもん。そうやなかったら上目指せないですから。上見とったら自分のケツ叩きながら日常の世界越えるしかないですもん。
ここらへんでもう、普通一般の人とはだいぶズレた感覚なんです。会社の中で波風立てんとうまいことやっていく気遣いとか、人間関係はチャンピオンのファクターから大きくズレとるんです。だから、ぼくが今までレスリングとサンボを通じてみてきたチャンピオンクラスの人たちは、例外なくみんな偏った人格者たちです。それで、信じれます? みんな本気でこの世で自分より強いヤツはおれへん!って言い切るんですよ・・・ぼくも似たようなもんですけど(笑)。チャンピオンたちはみんな、扱いにくい特殊な、問題児なんですよ、だから勝ち残ってるともいえるんですけどね。

「自分にしか出来ない事の中身」
一般的な大人の男子で、身長165cmぐらいで52kgって体重にベストコンディションで調整できる人います?
普通、身長165cmで体重52kgの体型だと自分たちの競技やるには細過ぎで筋量が足りないから力不足で競技以前の問題です。
筋量が充分だと力は一応クリア出来るけど身長が150cm代前半になるからリーチの面で不利になり165cmのリーチの選手と戦うにはテコの関係上やっぱり物理的に力負けする計算になるし、その懐に飛び込むのも相当な戦術とスキルが必要になります。
ぼくは小さい時からチビで今でも決してカラダは大きい方ではないです。それでも日々ハードトレーニングを続けてきたカラダは52kgにはキツイですよ。その52kg級の中じゃ世界中まわっても一番か二番の大きさなんです。ぼくのカラダは・・・
何を意味してるかわかります? この世界うまく調整できたら大きいもん勝ちって部分がありまして、みんなチョットでも有利に戦いたいから体重落とそうとする。でもこの減量ってうまく成功したら儲けもん、失敗したら普段の体調より悪いって博打のように思われていて、そしたらリスク負って無理に減量せんと確実な範囲でパワーアップって考える。ぼくはその隙間をぬってみんなが博打やからって追求せんところを徹底的に科学的見地から掘り下げた。
ぼくが減量した時の体調は、筋力はそのままで脂肪の衣だけを脱ぎ捨てた状態なのでスピードと反応は普段の数倍早い、だから結果としてパワーは増大することになり、余計に「これやったらだれにも負けん!」って自信になるし、体脂肪率5%以下って多分野獣と同じ感覚なんでしょうね、普通に何もしてなくてもビリビリ、ビリビリとピーンと張りつめた緊張の糸がいつ切れるかわからん状態で、もう押さえるのが大変で、常に臨戦体制ですわ。目も急によく見えたり、鼻が利くっていうんか匂いに敏感になって人ごみにはなかなか行けないです。 理にかなった減量は心身から格闘家をつくってくれるんですね。
この減量って我慢して耐え忍ぶこととはちがって、自分の事を深くやさしくわかってあげないと成功しない。みんな自分の事わかってるようでわかってないから なかなかうまく出来ないんです。
これこそが、ぼくの一番の強み、ぼくにしか出来ない事なんですね。
うまく体重をコントロール出来る事が。だから、体格ではすでに世界のトップまでいってるんです。52kg級やったらね・・・もって生まれた才能とはちがいますよこれは、努力で勝ち取ったぼくの強みなんです。

ぼくが普通の人と同じ食生活して平均的な体脂肪率やったら、普段63kgある計算になります。それを、約10年かけて戦略的に普段57kgで体脂肪率8%ぐらいにキープできる状態にまでもってきたんです。この体脂肪8%の世界でもかなり非日常的な領域ですが、さらに試合前1ヶ月で体脂肪率5%、体重55kgまでもっていきます。それを試合時はあと3kg落とします。しかもベストコンディションが条件です。
ぼくなんかこの52kg級で戦ってるから体格差で(まーホンマはそれだけとはちがうんですけど)やっと勝ててるようなもんで、一階級上やったらただの普通の選手ですわ、勝ったり、負けたりの・・・それやったらやってる意味ないですもん。一番になりたかったから、だれよりも強くなりたかったから体格で優位になる差別化戦略が必要やったんですよ。

ぼくは、もともと素質のある選手とはちがうんで この52kg級っていう階級とサンボの限られたルールの中だけで勝ててるだけなんですよ。
それで、二番目の強みが戦略と戦術です。
戦略は、自分の強みと弱みを知った上でどんなスタイルでどっちに進むかの方向(パフォーマンスの最終形)を決める事と、どこまで行きたいか(目標をどこに置くか)をはっきりさせる事、そこに至るまでのトレーニング計画の事です。
ぼくのトレーニング計画の骨格とマネジメントスタイルは流通業界にいた8年間の実務から生まれたものです。だから、パフォーマンスの方向は経営戦略と同じ考えですし、競合対策に使ったマーケティング戦略も自分独自の差別化戦略や戦術を考える上で応用できましたし、何より競技環境を整えるためにプロ契約に至ったこのマイナーな競技に商品価値を持たせた発想はマーケティング戦略からの発想です。マネジメントについても 計画→実行→検証→計画…のサイクルと、物事の構造を理解しシステムとして捉えることを基本としています。日々の生活とトレーニング、食事の関係を見つめ続け、あるべき方向へ導くためのマネジメント。パフォーマンスの終点に向かって正しい努力がなされているかのマネジメント。みんな、生の経済からの発想です。
だから自信あるんです。これはぼくの強みですって言い切れるんです。

それでもうひとつ 戦術は、戦略から導かれた自分のスタイルを基に、具体的なルールと具体的な対戦相手を対象に具体的にどう戦うかを考え、その通りに戦うことです。
ぼくの戦術のほとんどは、ウクライナが生んだぼくが最も尊敬してた双子のレスラー、アナトリー ベログラゾフ(世界選手権48kg、52kg、57kg級、3階級制覇)と、セルゲイ ベログラゾフ(世界選手権52kg、57kg級、9回優勝)、彼らの技術をベースにしたものです。
この原稿はウクライナ・キエフで書いたものですが、この原稿を書かせた衝動はウウライナの磁場エネルギーにぼくが共鳴しているからともいえるんです。ぼくの戦術(ユタカスペシャル1〜4)のふるさとに来たのですから。

「間合い(スタンス)」
我々の競技ってマイナーで人の知らない事やってるわけやから人気のない状況はようわかるし、自分のやってる事とか競技人口の少なさとかを説明するのとかがめんどうになったり、恥ずかしかったりするのも まあ、わかりますよ。でもこの競技ってそんなにカッコのわるいものなんですかねー?
サンボの選手って、なんか何に遠慮してるのか、堂々としてない人が多いです。マイナーな競技やから自信ないんですかねー。自分が好きでやってる事やのに・・・
ぼくは、みんながカッコわるいと思ってるのは競技そのものではなく、中途半端な自分の気持ちやと思うんですがねー。気持ちが中途半端やと何も得るものがないどころか自滅の道をあゆむだけです。
自分が心の底から信念もってやってる事やったら、周りの人たちもその“気”を感じて「ヤツは頑張っとる」とか「ヤツは輝いとる」ってみんな認めますって。
もっと胸張って堂々と生きましょうよ。「オレはこんなマイナーな競技やけど命懸けて燃えてます!」って。

まーこれは格闘技の極意でもあるんですけど、ぼく、格闘技の生命線は何かって聞かれたら、迷いなく“間合い”って答えます。
平成の三四郎と親しまれた柔道の“古賀稔彦”選手知ってます?(バルセロナオリンピック金メダル、アトランタオリンピック銀メダル)彼の得意技は観る人をいつもくぎ付けにした豪快な“一本背負い”でした。
あの“一本背負い”だけ注目してみると、層の厚い日本柔道の猛者たちの中であの高度な技術を単発で使える選手はゴロゴロいました。でも試合であれだけ豪快に一本勝ち出来る選手は彼だけだったんです。
彼は他の選手と何が違ったのでしょう? それはもうズバリ“間合い”です。彼は組み手争いを制する能力が誰よりも長けていました。どんな状況でも自分を相手の間合いの中に置くことを許さない技術、体力、そして何よりも妥協のない姿勢があったからこそあの“一本背負い”が生きたんです。
わかります? 格闘技ってどんな切れ味鋭い投げ技もっていようが、どんなに寝技が強く自分の強みが関節技であっても、最初に相手と向かい合った状態からの相手との距離(間合い)が定まってなかったらどんな技も決まらないか、決まっても中途半端なチカラの抜けた技に成り下がってしまうのです。その間合いって、まー 2cmぐらいのところですかねー。許容範囲が・・
これは「投げられてもええから思い切っていこう」って気持ちと「投げられんように確実にいこう」の差ともいえるんです。2cmの世界で勝つか負けるかが決まってしまうんです。
2cmぐらいの世界やったら観てる人にはほとんど感じないはずです。本人同士の心理戦の世界です。
この間合いこそが格闘技で勝つためのすべてともいえるんです。ここが見えてこないとどんなに頑張っても上が見えてこないです。

むかし、“美空ひばり”の「柔」って歌に「・・・・・勝つとおもうな、おもえば負けよ。負けてもともとこの胸の奥に生きてる柔の・・・・」のくだりがありましたが、実はこの歌、かなり深い境地を歌っていて、なかなか日常の世界からは垣間見えない極意の世界なんです。
ぼくもレスリングやってた頃までは「勝つとおもうな・・・」って姿勢がイヤでなんて消極的な歌やって思ってたし、日本の美学っていうのか、謙虚な気持ちで常に臨みなさいっていう意味かとも思っていました。でもこの曲、間合いの極意を歌ってたことが最近やっとわかってきました。
その境地とは、試合で勝ち負けにこだわると守りに入りやすくなるので気持ちがほんの少し引けて絶妙の間合いが確保できなくなり技が小さくなる、そこを勝負・名誉・世間の評判などのこだわりさえ捨てることができたら、その肚さえ括ることができたら、高いレベルでの勝敗を制することができる。こんな心身の状態の事です。

生命を懸けた闘いを幾千年も積み重ねてきた日本の武の世界にはこのような境地を歌った極意歌が多く残っています。
         「山川の瀬々を流るる栃殻も
                身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
これは、かつての剣客が「身を捨てる=死の覚悟」が勝利への必須の“心理装置”であることを隠喩を使って表現したものです。
“生”にこだわらないこの境地でしか見えてこない極意! その極意とは、切り殺される恐怖に呪縛されると気持ちが引けてほんの2cmぐらいの距離の奪い合いに知らず知らず負けて自分の間合いが確保出来ず、相手の間合いに入ってしまい切り殺されます。やぶれかぶれの捨て身で勝負に挑めばこれも切り殺されてしまいます。高い精神状態のなかでいっさいのこだわりを絶つことは“生”へのこだわりをも捨てる肚のことです。この境地でしか確保できない絶妙の間合い、これこそが武の極意 勝利への必須の“心理装置”なのです。この心理戦を制して始めて自分がもってる技術とか戦術が生きてくるのです。ここに武の世界とか格闘技の世界の生命線があるんです。
でもこの境地って日常の世界からは感じにくいですよね。ぼくの場合は格闘技の世界にいたからこそ、しかも全身全霊すべてを懸けて栄光を掴もうとしてきたからこそ、非日常的な世界から感じることができた価値観なんです。
普通は守るべきもの(こだわりも含めて)が多くて捨て身の境地に身を置くことが出来ませんからねー。ここらへんで最初の「こだわり」の項で言いたかった事、少し見えてきましたか? どんなに正しいといわれてることでも絶対的な正しさはなく、すべては過渡的って認識できるようになってから、物事に執着しないこだわりを捨てた心境になれた。
さらに、その心境は捨て身の覚悟にまで高められ勝負の極意を学ぶことができた。
だから、ぼくは常に「今日死んでもええ!」って気持ちで日々を過ごせれるんです。今この瞬間何も思い残す事はない。それくらい本気なんです。入れ込めるんです。いつも、何に対しても・・・でもこだわりはない。すべては“間合い!”このスタンスです。
何が言いたいかわかります? 気持ちが中途半端じゃなく突き抜けてれば、それがその場の勝負だけやなく、人生や運命までも切り開いていくもんやって事です。
ホンマにチョットしたことなんですけど、前に進めるか、転んで立ち上がれないかはそんなところにあるような気がします。
ぼくがレスリングとサンボの20年間の競技生活で得たいちばん大きな事はこのスタンスです。

行住坐臥、常にこのスタンスで人生に挑めば日々前進、表面的な現象に流されない、揺るぎない芯と自信に満ちあふれた道を歩めるはずです。

これからもバンバン前進ですわ。    みなさん、ともにがんばりましょう。

                     ウクライナ共和国立スポーツホテルにて
                             2000.11.27 佐々木豊